登戸の通り魔事件

痛ましい事件だね。

職場から5キロくらいの距離だからなんとも他人事とは思えない

 

11人刺して16人怪我。小学生の子も多数が被害にあって、重体の子もいる。

 

犯人がどんな理由でこんな凶行に及んだかはおおよそ見当もつかないし理解できないし、あくまで個人的な考えだが万死に値すると思う。

この犯人の行動の悪意について論ずるまでも無いと思うから犯人についてはもうこれ以上掘り下げるのも不毛だよね。

司法が妥当な処分を下すことを願う。

 

って、この記事を書いている時も速報で30代男性が息を引き取ったって報道が。

 

犯人が暴れてる中、止めに入ったそうだ。

30代男性。まさに俺と同世代の同性の人だ。

俺がもし現場に居合わせたらこの男性の様に勇敢に止めに入れただろうか?と考えてしまう。

彼は本物の勇気があって正義感もあったんだろう。

犯人は刃物持ってるとか、ゴチャゴチャ考えずに咄嗟に身体が動いたのかもしれない

 

同世代・同性として彼の勇気ある行動に敬意を払わずにはいられない。

どんな人物だったか報道されていないが、これから勤めに出るところだったのかもしれない。家族がいたかも。恋人が。奥さんが。お子さんがいたかもしれない。

今日は普通に出勤して普通に帰宅するであろう平凡な日だったはずが狂った悪意に遭遇した。遭遇してしまった。

もしかしたら自分の身1つなら逃げれたかも。身を守る事に徹し切れてれば命までは絶たれなかったかも。それでも、見ず知らずの子供を守るために凶行に立ち向かったこの男性に心からご冥福をお祈りしたい。

結婚から離婚まで③

 それまでの企業内社員食堂経営は、父親の急死で右も左もわからない状況で手探りで四苦八苦しながらなんとか運営してたんだ。

少しづつ業務にもなれて。順風満帆とはいかないまでも経済的・労働環境的には最高な職場だったと思う。

その一方で、身の丈にあってないとずっと思ってた。

 

いわゆる親の七光りで、なんの取り柄もない屑男が、同年代の社会人の2倍くらいの所得をたいした苦労もなく稼いじゃってるんだしね。

なんとなく漠然とこんな良い暮らし長くは続かないんじゃないのか・・そんな不安が薄い煙の様に常にまとわりついていた。何か人並みに努力や苦労しなくちゃいけないんじゃないか? この先、資産になるような経験をしなくちゃダメな大人になるんじゃないか?ずっとそんな事考えてた。

何をすればいいのかもわからず、とりあえず資格の勉強とかもしてみたよね。

日商簿記2級とか調理師資格とってみたり、通信制の大学で経営の勉強もした。

 

でも、あんまりモヤモヤした漠然とした不安みたいなもんは中々消えなかったね。

 

そんな、同年代の友人からは羨まれる一方、自分の中の漠然とした不安との板挟みで何ともモヤモヤした状態だったけど、なんやかんや30歳まで大きなトラブルもなく仕事は続けられた。七年くらいかな。

 

もうそんだけ続けてたら業務自体はもうベテランだしね。日々の運営に関しては何も問題なかったんだけどさ。

ある日突然突きつけられるわけさ。絶望ってやつを。

 

それは、屑男の経営している企業内社員食堂の入っている工場の工場長から突然言い渡された、工場移転の話。

工場移転と言うよりは、既存の工場との合併だね。不況の煽りで事業の縮小を行うとの事。合併する工場には既に社員食堂があるとの事で、屑男の社員食堂が一緒についていく事は出来なかった。実質的な契約更新ストップです。

 

工場閉鎖までの猶予一年。

 

その一年で食堂畳んで出ていかなきゃならない。ってか、出てくもなにも工場自体がなくなっちゃうんだけどね。

 

屑男の漠然とした不安が突如現実になった瞬間だったわけだ。そりゃもう絶望したね。

 

なんてったって、高校卒業後すぐに父親の食堂で働き始めた屑男はまともに就活もしたことない。どこかの企業・組織で働いたことは学生時代のアルバイトくらいしか経験ないわけだ。そんな30歳。

さらに子供三人。前妻の両親の面倒まで見ている。経済的心配しないわけないし、そもそも就職先あんのか?状態。

普通に考えて絶望しないなら、そりゃ楽天家なんてもんじゃなく世間知らずだよね。

 

幸い、個人でなく法人で食堂経営して、財務状況も良好で銀行借り入れもなかったから、また別の事業を一から始めるって選択肢もあったにはあったけどね。

前妻とは度重なる協議の末、子供三人抱えて、うまくいく補償もない新事業をやり始めるほど度胸もノウハウもない。さすがにそんなギャンブル出来る状況に無いと判断。

 

会社畳んで、転職活動に乗り出したわけですよ。

 

屑男のスペックだとね、難航するのはわかってた。

だから、出来る事は全部片っ端からやろうと思った。転職エージェント利用して、暇あれば転職サイト漁ったりしてね。

転職先の方向性としては、それまで食堂経営してきたわけだしね。やはり、飲食業系で探してたよね。

 

そして、今思えばそれが間違っていたと思う。

 

そこが俺の人生のターニングポイントだったと今は思うね。

 

まぁ、工場移転の猶予期間一年の間に会社を畳む準備しつつ転職エージェント利用してさ。精神的にも肉体的にも疲弊しきって迎えた31歳。前妻と結婚10周年。

それまで、小競り合い的ないさかいはあるものの、大きな喧嘩もすることなく仲良く幸せだった夫婦生活も、こんな絶望的状況で結婚10周年を迎えるとは思いもしなかったね。

それでも子供の為に遮二無二に転職活動頑張った。

 

何社か書類で落とされ、何社かは面接までいって。

4社くらい内定貰えた。

 

正直喜んだ。そりゃもう喜んだね。

どれもこれもブラック企業臭はプンプンしていたけどね。

それでも、飲食業界なんてほとんどそんなもんだし。なにより屑男が仕事を頂けたってだけで感謝の極みって感じだった。そん時は。

 

まぁ、なんやかんやで4社いただいた内定を前妻とよく吟味。

どれもこれもブラック臭はプンプンだけど、それでもまだマシそうな一社に絞る事に。

 

それは、都内中心に健康趣向の定食を提供しているカフェ風レストランを展開していて、当時3~4店舗を運営している会社。これからどんどん店舗展開していくから人材募集しているとのこと。

居酒屋業態とかで酔っ払いの相手したり、昼夜逆転の生活は出来るだけ避けたいと思っていたからランチ業態に好感。さらに、店舗が増えてくればキャリアアップも期待できるかも?なんて期待を胸に入社を決める。

 

まぁ、これが地獄への片道切符だとはその時の屑男まだ思いもしてません。

 

結婚から離婚まで②

屑男23歳の春

父親の他界

 

それまで父親の経営する企業内社員食堂で父親と一緒に働いていた屑男だっただったわけだけど、父親の死で屑男は「きっと契約は無くなるし、転職活動しなきゃだな・・」と思ってたが。

 

まさかの、契約更新。

 

いや、だって23歳のガキに企業内の社員食堂とは言え、それなりに責任のある仕事をポンと任せるとは思うまいよ。

 

でも、どんな考えあっての事か、先方様。契約更新するって言うもんだからさ

屑男も耳疑ったし。なんかの冗談かと笑いそうになったのを覚えてる。

 

まぁでも、何はともあれ、父の会社を引き継ぎ、なんやかんやよくわからぬまま社長に。

んで、父親の残した財産も相続。

数千万って現金と年収で7~800万って当時じゃ想像もしないお金が舞い込むわけですよ

 

でも、突然の死別だったし当然引継ぎなんてしてないし、それまで屑男も経営なんて学んでこなかったし、っつか、多少料理は出来たけど、何もわからない同然の状態で、そりゃ順風満帆な滑り出しなんてほど遠くて、苦労は多かったし、たくさん恥もかいたよね。

でも、それでも、億万長者とは言わないまでも、年齢にそぐわない大金。

しかも、でかい金がポンってわけじゃなく、毎月それなりの高収入。

恥だってなんぼでもかいてやるし、勉強も頑張る。なんぼでも頑張ります。頑張らせてください。って感じ。

 

まぁ、そうなってくると前妻の両親なんかも目の色も変わりますわね

 

それもそのはず前妻は、二人姉妹の妹で、姉も嫁いでたしね。

自分らの面倒を見てくれる人はいないわけ。

 

そこにきて、自分の娘と一緒になった父子家庭の男が、その父親死別して大金手にしたとわかれば、出てくる話題は「ボチボチ私たちも歳だし、屑男さんも持ち家もって一緒に暮らしませんか?」的な話な。

 

のらりくらりと話をはぐらかしてはいたんだけどね。

 

その後、第二子、第三子と産まれて、前妻一人じゃなかなか子供の面倒見るのも

大変になったり、なにしろ前妻の両親の一緒に住もうって圧力が強すぎて

最終的に根負け。

自営業者だった屑男はたいしたローン組めないから、相続したお金の大半を頭金にいれ

残りは35年のローン組んで埼玉のそれなりの場所で一国一城の主になる事を決心。

 

まぁ、この決断が後々の離婚の引き金になるんだけどね。

 

この時は、自分の父親に出来なかった親孝行を、まぁこの先一緒に一生暮らす前妻の両親にしたと思って、悪い気はしなかったしね。

なにより金持ち喧嘩せずってやつで、経済的に安定してたから仲は悪くなかったわけよ。実際、子供三人もこさえたわけだしね。

 

でも、結局はそれが破綻するわけですね。

 

企業でもなんでもそうだけど、破綻する時は思いもしない所で

突如起こるわけですよ・・・

屑男の場合は、30歳回った頃、突如その悪魔の宣告が言い渡されるわけです。

 

 

結婚から離婚まで

つい先日書いた記念すべき第一回目の記事から、すでに二日も空いてしまった。

 

コツコツ頑張るなんて言葉が軽い軽い。。

 

まぁ、コツコツ頑張る改め、自分のペースでコツコツ頑張るに変更してしまおうかなw

 

 

さて、そんな自分に甘々な屑男なんですが、今後少しずつ自分の半生と、何故に自分を屑呼ばわりしているのかを書き起こしていこうかなぁなんて思ってます。

 

まぁこんなおっさんの半生がどこに需要あんのかはさておき、自己満足のため?に書いていこう

 

とはいえ、学生時代の話まで遡ってもあんまりおもしろい話もないので

20代前半の話からしていこう

 

一番最初の記事にも書いたけど、屑男は離婚して現在は再婚してます。

 

ので、最初に結婚した時の話からしていきます。

 

高校生の時、当時、同級生だった女性が第一夫人になる方です。

21歳までお付き合いした後に、子宝に恵まれ結婚しました。

屑男は高卒後父親が経営していた企業内社員食堂で働いていて、しょぼいながら稼ぎも一応あった。ほんと何とか生活出来る程度。

でも年齢的にも低所得なのは百も承知。覚悟の上での結婚生活だったと思う。

 

無事、第一子の長男も産まれて両家の親にも支援してもらって祝福もしてもらって

裕福ではないけどまぁまぁ順調な滑り出しかなぁ~なんて思ってたのよ

 

まぁ、でもそんな順調な滑り出しで気をよくしてるところに、横っ面引っぱたかれるような大事件が・・

 

屑男の親父のまさかの急死

 

これは、やはり屑男史の中の三本の指に入る大事件でしたね。

当時、「え?人ってこんなあっけなく死ぬんだ」って、ある意味悲しむ余裕すらなかった記憶が残ってる。

まぁ、屑男の父はアル中で毎日朝から晩まで飲んでる人だったから、医者からもこんな生活続けさせてたらいつ死んでもおかしくねーぞ?って言われてたらかね。

ある意味、急死とはちょっと違うのかもしれないけど

 

そんなこんなで屑男23歳の時、長男1歳になるかどうかくらいの時に、父親他界。

これにより、また屑男の人生が大きく動き出すのですよ。

ブログ初心者 屑男の記念すべき第一回目の記事

始めまして。

屑男です。

 

ブログ初心者です。

 

何故に屑男なのかと簡単に申しますとですね

 

離婚・再婚・借金と、まぁまぁよくありがちな量産型クズでして

今後、この辺を中心に少しずつブログに書き下ろしていこうかなと考えております。

 

職業は、誰もが一度は聞いたことある某ピザチェーンで店長やってます。

 

仕事の愚痴なんかもネチネチと書いていくつもりです。

 

雑記ブログですが、内容はかなりネガティブなものになるかなぁと

想定してます。

 

また、文章書くのも初心者ですので誤字脱字・誤情報・偏見などなど

かなりお見苦しい内容も多く含まれると思います。

 

が、とにかく始めたからには目標は一カ月で20記事くらいは書けるように

日々続けていけたらなと思って頑張ります。

 

如何せん初めてのブログって事で、どれだけ読者がいるのか・・

ってか、おそらく読まれないであろうブログになると思われますが、まぁコソコソと

記事更新していこうという所信表明的な記念すべき第一回目の記事でした。